ホームページに関する事と日常のブログ

sitemap

趣味

埼玉県飯能市 伊豆ヶ岳ハイキング 男坂

趣味

2013年9月29(日) 西武線正丸駅から正丸峠、伊豆ヶ岳、子の権現などを経由して西武線吾野駅までの約15km 7時間のハイキングです。 伊豆ヶ岳の男坂は見る価値ありかなぁ?

秩父武甲山山頂からの秩父盆地

趣味

2013年9月21日(土)に石灰岩の山【武甲山1304m】を登りました。
山頂から秩父盆地を望んだ動画です。

鎌倉報国寺

日常 趣味

竹林抹茶ミシュラン・グリーンガイドで三ツ星評会の鎌倉にある禅寺報国寺に行った。
すばらしい竹林で、抹茶を一服。

日光街道(小金井宿から宇都宮宿)

趣味

日光街道ウォーキングも、東京日本橋から6日目、栃木県東北線小金井駅からスタートです。
本日は、宇都宮宿をめざす約21Kmの旅です。

koganei_ichi

早速、国指定史跡の小金井一里塚を見学、こんもりしている二つの塚の間が江戸時代の日光街道です。
江戸日本橋から22番目の塚で、約90Kmになります。 塚と塚の間は、約9.1mで意外と幅があったんだなぁと思いますね。乗用車がすれ違うには余裕の道幅ですね。これが江戸時代の幹線道路です。

小金井駅を午前7時すぎに出発して、宇都宮には午後2時過ぎに到着でした。
次回は、1泊2日でとうとう東照宮を目指し、日光街道を完歩の予定ですね!

さすが○○の○○

趣味

zac123

昨年の11月21日の話しです。紅葉狩りで日光東照宮へ行った。久々の日光東照宮です。 このブログでも動画で投稿していますので興味があればご覧ください。

さて、日光で日本サッカー代表監督のザッケローニを見かけた。そばに寄ると『近くに寄るなオーラ』でスーと離れていく。 関東の人は、有名な人が居ても遠まきで見ているだけの人が多いと思う。

日光東照宮内でも、ザック(ザッケローニの愛称)の事を気がついているけど、みんな見守っているだけだった。 そんな中、若者が躊躇しながらも握手を求めたようだったが、ザックは『今はプライベートだから』と英語で握手を断った。 周りの人は『しょうがないよね!』という雰囲気であった。

そこへ、どう見てもサッカーファンとは思えない関西弁で話している60才台の3人組のオバチャンが、ザックのそばに寄って日本語で『一緒に写真撮ってやぁー』と言ってザックを囲んで記念写真を撮ってしまった。
ザックは、なすすべもなく苦笑いするだけ!

さすが関西弁のオバチャン!
パワーの違いをみせつけさせられた関西のオバチャンであった!
勉強させられたなぁ~。

LINE Playにハマってます。

日常 趣味

今、話題のLINE、なかなかのものですね! 気軽にできるし、基本的に知っている人とのやりとりなので、緊張感を感じません。 またfacebookやTwitterと比べると嫌らしさ(私見ですが)を感じませんね!

ゲームは基本的に好きではないのですが、LINEのゲーム『LINE Play』に今ハマってます。
ゲームの中のアバターに架空ルームの掃除や植物に水やり、他の人にハートをあげる作業をして、ポイントを獲得していきます。 その獲得したポイントでアバターの架空ルームに家具・また洋服などをポイントで購入して、自分の好みのルームにしていくというゲームです。
昔の『たまごっち』の進化版みたいなゲームです。 パーツ・パーツを組み合わせてコツコツ集めていく作業は、ホームページ制作の作業に感覚的に似ている感じがします。
ちなみに私のアバター名は『テイク』です。遊びにきてね!

日光街道/小山宿・小山評定

趣味

【小山評定跡由来】
1600年7月24日 徳川家康は、会津の上杉景勝を討つべく小山に到着しました。
このとき、石田光成が家康打倒の兵をあげたことを知り、翌25日この地において軍議が開かれました。これが『小山評定』といわれるものです。
 軍議は三間四方の仮御殿を急造し、家康と秀忠を中心に、本田忠勝、本多正信、井伊直政や福島正則、山内一豊、黒田長政、浅野幸長、細川忠興、加藤嘉明、蜂須賀至鎮らの諸将が参集しました。 福島正則が協力を誓い、これをきっかけに軍議は家康の期待どうりに決まりました。
 同年9月15日、関ヶ原の戦いがおこなわれ、東軍(徳川方)の勝利にむすびついた歴史上重要な所です。

日光街道/間々田宿・間々田八幡宮

趣味

江戸時代は間々田の鎮守で、境内は非常に趣きがあり、昔を思い起こされる神社です。
境内には3つの池があり、5月5日の子供の日には「蛇祭り」が開催され、大勢の人で賑わいを見せるらしい。

日光街道/野木宿・野木神社

趣味

茨城県古河市から栃木県に入ると、日光街道左側に200m続く野木神社参道がある。
1600年前に建立されたという。
鎌倉時代は源頼朝が社領として田地や神馬を奉納するなど、源氏の信仰が厚かった。

日光街道/古河宿

趣味

むかしは。古我、あるいは許我と書き、奥州方面への重要な地点となっていた。
平安時代から代々古河氏が支配していたが、その後小山氏、足利氏、北条氏などが支配した。 古河城は北条氏の滅亡とともに徳川家康の家臣小笠原秀政の居城となった。
1633年土井利勝が城主となり、城下町の整備を行った。 古河城は平城であったが、大正時代の渡良瀬川改修工事で城郭の大部分は河川敷となり、ほとんどが壊されてしまった。

« 古い記事

RSS FEED